ヨネブンについて
胴の回りには屋号「米屋」の米の文字のデザイン。
背中には暖簾印の山トが染め抜いた印半纏(しるしばんてん)。
群馬の館林の地で、江戸時代から近郊きっての富商の名声を博していた米穀商「米文(ヨネブン)」の職人の誇りであった。
文右衛門を襲名し、弘化の頃(1844年から1847年)には目車町(現在の栄町)の名主と新紺屋(染物業)の名主を兼務していた。
2代目正田文右衛門(明治二八年没)は安政の大地震の際、被災者救済のため、米穀を船に満載して江戸に送ったことも。 米穀商から醤油醸造業に転じたのは、3代目正田文右衛門の 代で、明治維新後に「正田醤油」の基礎がつくられた。
現在の正田醤油の原点には、このように江戸の米穀商「米文 (ヨネブン)」から始まる歩みがあり、今でも「ヨネブン」の屋号を大切にしている。
明治37年頃の米屋文右衛門商店。
ボイラーが設置され、英国スイスト社製の自転車を使用していた。
米穀商を営んでいた天保年間から、醤油業を始めた明治24年まで使用していた大福帳。
明治24年ごろの醤油醸造業の米屋文右衛門醸造の看板
最初のころの醤油。
「BEST SOY」の横文字の名前。
明治43年頃の撮影
米屋文右衛門商店 店員10名の写真
正田記念館の建物は嘉永6年(1853年)に建てられたもので、江戸期の米穀商「米文(ヨネブン」の時代から昭和61年まで、正田醤油の本社棟として使われていました。
現在は記念館として、正田家300年の家系図に始まって、米穀商から醤油醸造業を興した3代文右衛門、館林町長・群馬県醤油同業組合初代組合長を務めた5代文右衛門、日本醤油協会会長を務めた6代文右衛門、正田家と当社の歴史にゆかりある品々を公開・展示しています。
ちなみに建物は登録有形文化財に指定されています。
記念館の建物(上図)は、1853(嘉永6)年に2代目正田文右衛門が店舗として建てたもの。
- 交通 : 東武伊勢崎線館林駅西口下車徒歩1分
- 開館時間 : 午前10時~午後4時
- 休館日 : 土曜日、日曜日、祝祭日、夏季休暇日、年末年始
- 入館料 : 無料
- 各所在地 : 群馬県館林市栄町3番1号 正田醤油株式会社内
- 電話番号 : 正田醤油株式会社 0276-74-8100 (代)